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先日、出張ついでにベートーヴェンの第九を聞いてきました。

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読響さんのコンサートは何回目でしょうか、定期的にはさすがに無理ですが年に1回は聞いています。
今回はサントリーホールでの第九交響曲「合唱付き」。

高い音楽性と緻密な解釈で有名な上岡敏之氏の指揮ということで、前々から楽しみにしておりました。

率いるのは読響さん。
どのような解釈で、そして読響さんがその解釈をどう表現するかワクワクです。

一言でいうと、「斬新」。
きっと上岡敏之氏は直筆楽譜に忠実に表現しただけとのことでしょうが、解釈は斬新としか言いようがありません。

時代時代によって解釈は変わってきます。
フルトヴェングラーやワルターの時代は重厚壮大さ。
ベーム・カラヤン・バーンスタインの時代ではそれを引き継ぎながら、新たな解釈が生まれ、その当時の音に忠実な解釈のアーノンクール、そして斬新な解釈のサイモン・ラトルなどの第九を聞いてきました。

他にもアバド、セル、があり、昨年の佐渡裕氏の第九。

解釈はその時々の時代背景や聴衆の社会風俗に直結していると思います。

指揮者は「作曲者の楽譜をそのまま表現」していると言われますが、音を紙に表現する限りにおいて微妙なニュアンスは全て書ききれません。ベートーヴェン時代は特に音の配列程度でニュアンスまでは具体的に書き入れていませんでした。

なので、紙に書かれた音符を表現しようとすると、そこには「解釈」が必要になってきます。
「解釈」には様々なものが入ってきます。その人個人の音楽性はもちろん最重要ですが、先ほども述べました時代背景、社会風俗も排除できません。

指揮者の解釈、オーケストラの演奏により、同じ「ベートーヴェン第九交響曲」でもそれこそ、何万通りもの表現になります。この「解釈と表現を聞きたい・知りたい」という知的好奇心こそが古典音楽の醍醐味なのではないかと個人的には感じます。「なるほど、この指揮者はこの時こういうことを考えたのか」とか「この時代はこういう表現が喝采を受けたのか」という知的好奇心がドンドン大きくなってきます。古典音楽を知れば知るほど、解釈と表現への渇望が増大していきます。

ちょっと余談が過ぎました。

上岡敏之氏の解釈により、全楽章で新たな響きを聞かせてもらいました。

特に第二楽章最後の音の解釈には驚きました。が非常に合理的で素晴らしい解釈だと思います。
また全楽章通してテンポと抑揚の受け取り方が独特のようですが、理にかなっています。

一回で上岡敏之氏のファンになりました。

しかし、やはり人間ですので、聞きなれた解釈による音楽が脳を保守的にしているせいで、新たな表現に出くわすと戸惑ってしまいます。戸惑うというか違和感というか、そういったものを排除するためには、もう一回聞かないと本質的な表現は分からないですね。

そこで、音楽総監を務めたヴッパータール交響楽団での演奏のCDを早速注文。
今回の演奏とはもちろん違うのでしょうが、全盛期(といっては失礼か)の演奏ではないかと思います。

自宅で何回も聞き直して、上岡敏之氏の解釈による第九を聞き直したいと思います。